低温研ニュース

2004年12月 No.18

People 新しい研究者の紹介

fukui

低温研に届いた一枚の葉書--生命の起源と微生物生態学

福井 学(低温基礎科学部門)

低温研に赴任して2ヶ月が経とうとしたとき、十二ヶ月花鳥図貼付屏風(九 月)の絵葉書が届いた。故石本真北海道大学名誉教授夫人の礼子さんからである。 東京から札幌への引越の際に石本先生の退官記念論文集を紛失してしまった。恥 ずかしながらご自宅に残部があれば一つ分けていただきたいという私のお願いに 対する、礼子夫人の御返事がこの葉書である。清楚でかつ力強い文面を読み進め ていくうちに、私のこれまでの来し方を振り返ることになった。

新潟県中越地区で生まれ育った私は、将来山間部の僻地で小学校の教員にな りたいと強い希望を抱いていた。科学、ましてや生物学に特別な思いは無かった。 大学1年の前期、教養の生物学のテーマは「自然発生説の検討と生命の起源」で あった。その時F先生から紹介された本が、オパーリンの「生命の起原」(石本 真訳)1)である。早速購入して貪り読んだ証が本の余白に今でも垣 間見ることができる。それは1979年6月19日のこと。当時の私の科学的力量では その内容のほとんどは理解できなかったと思う。しかし、地球の成り立ち、化学 進化、生命の起源と初期進化に関して、それまでの私の科学的常識を完全に覆す ものであったことは確かである。これがきっかけで生物学に対する興味が湧いて 来たが、「生命の起源と初期進化」は遠くて、手の届かない課題のように感じた。

その後、大村はまがオリジナルの教材を用いて独創的な国語の初等、中等教 育を展開したように、理科教育でも同様なことはできないだろうかと思うように なった。それためには自らの科学的素養を積むことが重要であると感じ、大学院 に進学。卒研以来のテーマである水圏堆積物における硫酸還元菌の生理生態学的 研究で学位を得て、幸いにも通産省の工業技術院の研究所に就職することができ た。

国立研究所ではミッション型の研究が中心である。排水の嫌気的生物処理、 有害化学物質の嫌気的分解処理の研究を手がけたが、常に硫酸還元菌との接点が あった。1994年から1年間ドイツにあるマックスプランク海洋微生物学研究所で 在外研究を行い、その間に東京湾勝島運河から新種の糸状性硫酸還元菌を発見し た。ホストのFriedrich Widdel(フリードリッヒ・ヴィッデル)教授に命名を相 談したところ、「日本人の研究者の名前にちなんで命名してはどうだろう」と助 言を 受け、Desulfonema ishimotonii( デスルフォネーマ・イシモトニイ)とした2)。これには理由があ る。

硫酸還元菌は硫酸塩を硫化物に還元する偏性嫌気性細菌(酸素があると増殖 できない微生物)である。オランダの微生物学者Beijerinck(バイエリンク;一 般微生物学におけるデルフト学派の創始者)が19世紀末に運河底泥から硫酸還元 菌を発見して以来、80年余もの間この菌は限られた有機物(たとえば、乳酸やピ ルビン酸)しか利用できないと考えられていた。しかし、Widdelは酢酸を利用で きる硫酸還元菌の単離に成功した。この発見は水界での有機物の無機化過程や硫 黄の循環を理解する上で重要であった。夏場池沼では泡が底泥から発生する。こ れは沼気と呼ばれ、メタン生成細菌によって発生されるメタンガスである。メタ ン生成細菌は硫酸還元菌と酢酸をめぐって競合関係にあるが、池沼のような淡水 では硫酸塩濃度が低いため有機物の最終分解者としてメタン生成菌が卓越する。 一方、硫酸塩濃度の豊富な海洋堆積物では硫酸還元菌がメタン生成菌を負かし、 一般的には有機物の嫌気的分解の5割以上を硫酸還元による。こうしたWiddelの 発見は生物地球化学上においても革命的であった。その単離菌につけた名前が Desulfobacter postgatei(デスルフォバクター・ポストゲーテイ)であっ た。英国の微生物学者John Postgate(ジョン・ポストゲート)にちなんでいる。 Postgateは英国一般微生物学協会会長を務め、また、微生物の世界を一般に紹介 したポピュラーサイエンス書3)の著者としても著名である。科学的 には、1950年代硫酸還元菌にチトクロームが存在することを発見したことで知ら れる。この発見は、硫酸還元菌が発酵ではなく呼吸によりエネルギーを獲得して いることを示すものである。酸素がない環境でも我々が行っている酸素呼吸と同 様に硫酸塩を用いて呼吸している(硫酸呼吸と呼ぶ)。Widdelはこの功績を讃え て、新しい菌にPostgateの名前をつけたのであった。しかし、同時期に、しかも 独立して同じ発見をした研究者がいた。それが石本先生である。英国から遥かに 遠い日本で、しかも戦後の物資の乏しい時期での画期的な発見であった。Widdel の心には長い間石本先生の功績に対する特別の感情があったのであろう。

私自身は生物の種名に人名をつけるのにはいささか抵抗がある。そう思う研 究者も多い。そこで、Widdelの考えをお伝えするとともに石本先生にご意見を伺 うこととした。
「新種の菌はエタノールを好んで利用するのですが、その菌に先生のお名前をち なんで命名しても構いませんでしょうか?」
「身に余る光栄の至りです。私はお酒が好きですので、新種と同じですね」と、 石本先生は躊躇しながらも快諾していただいた。

その後(1998)、私は都立大に転じ、微生物生態学の研究と教育に力を注い だ。教育に関しては大学での講義だけでなく、日本微生物生態学会の教育部会の 活動にも積極的に取り組み、今年入門書4)を刊行するに至った。研 究面では、優秀な大学院生に恵まれ、高温環境下における硫黄循環システムの研 究を精力的に行うことができた。この研究を通して太古代の地球で繰り広げられ たであろう生命の初期進化を探る機会にようやく辿り着いた。一方で、融雪時に 発生するアカシボ現象への微生物生態学的アプローチに着手し、現在低温環境下 における物質循環にかかわる微生物に興味が移ってきている。

人生とは本当にわからない、というのが偽らざる現在の心境である。オパー リンの「生命の起原」をむさぼり読んだ時代から四半世紀を経て、ここ札幌の地 で微生物生態学の研究と教育に携わることとなった。低温環境下における微生物 の生態学は未解明な課題が多い。まさに未知の地であり、また、困難な課題でも ある。今後、この課題に果敢に挑戦する。

最後に、私の座右の銘を記すこととする。

『初めから何の道でなくては駄目だなどときめて働いていることは間違いで ある。さようなことには眼もくれず、一心で道を開く気になって突進すべきであ る。他人の事は気に留めるとかえって悪い。また浅はかな先入主観念はさっぱり 捨てて進まなくてはならない。』

石本巳四雄著「科学を志す人々へ」5)より

<文献>
1)石本真 訳. 『オパーリン 生命の起原』. 岩波書店. 1969.
2)Manabu Fukui, Andreas Teske, Bernhard Assmus, Gerard Muyzer and Friedrich Widdel. Physiology, phylogenetic relationships, and ecology of filamentous sulfate-reducing bacteria (genus Desulfonema). Archives of Microbiology 172: 193-203. 1999.
3)ジョン・ポストゲート(堀越・浜本 訳).『スーパーバグ 生命のフロンテ アたち』.シュプリンガー・フェアラーク東京.1995.
4)日本微生物生態学会教育研究部会編著.『微生物生態学入門:地球環境を支え るミクロの生物圏』.日科技連出版社.2004.
5)石本巳四雄.『科学を志す人へ』.講談社学術文庫.(原本は「科学への道」として柁谷書院より1939年刊行).

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