有機化合物の安定同位体比が持つポテンシャル

はじめに:
自然界には,多種多様,ほぼ無限の種類の有機化合物が存在し,それぞれが非常に特徴的な機能・役割を持っています(... 持っているはずですが,よくわからないものが多い)。そして,有機化合物を構成する水素・炭素・窒素などの元素には安定同位体が存在し,その比率には,

  • 地球上の物理化学・生化学反応の基質・経路・フラックスに対して定量的に変化する
  • この基本原理が個々の反応スケールの研究から地球化学・地質学スケールの研究まで共通の一般則として広く適用できる

という2つの性質があります。従って,有機化合物の安定同位体比の研究には,適切な有機化合物(または,その一部の部位)の適切な元素の同位体比を,研究目的に合わせて「うまく」使うことができれば,我々の周りで起こる様々な現象の5W2H(who, what, why, when, where, how, how many)を,優れた精度で「定量的」に理解することができる,という可能性があり,またそれに挑戦する「おもしろさ」があります。この「おもしろさ」が,私たちの研究室の重要なモチベーションの1つであり,それを国内外の共同研究者や研究室の学生達と共有したいと考えています。



安定同位体に関する基礎知識


測定法の発展(2):
第3世代の分析法
有機物,有機化合物の安定同位体比は,おもに,
(1)原料の同位体比
(2)合成時の同位体分別
(3)分解時の同位体分別
のにより決定される。そのため,(1)を知ろうと思えば,(2),(3)が問題になるし,同様に,(2)を知ろうと思えば,(1)と(3)が問題になり,(3)を知ろうと思えば,(1)と(2)が問題になる,というように,有機化合物の同位体比そのものを見ても,なかなか知りたい情報に到達できません。そしてこのジレンマが,長い間,多くの研究者・学生を苦しめてきました。
そこで,「単一の試料に含まれる異なる有機化合物の同位体比の差」や「単一の有機化合物に含まれる異なる部位の元素の同位体比の差」を見ることで,上記(1)〜(3)の1つだけを求めるような手法が,2005〜2010年に提案され,多くの研究で使われるようになりました。
例えば,下図で示す様に,試料1,2,3について,有機化合物AとBの同位体比(δ)からみれば,これらの試料をグループ分けすること(1,2 vs 3, または 1 vs 2,3,または,1,3 vs 2)は難しいと思われます。しかし,AとBの同位体比(δ)の差(Δ)をみれば,試料1と2ではΔが大きく,試料3ではΔが小さい,というように,試料1,2を,試料3と明確に区別することができます。
 
 
このように,1つのfactorに対して,化合物Aには係数aと定数bがかかり,化合物Bには係数cと定数dがかかり,一方で,それ以外のfactorに関しては化合物A,Bの間に差が無い,とするとならば,両者の同位体比の差は,その「1つのfactor」の一次式として解くことができます。すなわち,有機化合物の同位体比そのものは,複雑な多項式によって定義されていますが,2つの有機化合物の同位体比の「引き算」により,単純な「一次式」として解くことができようになります。
このようなAとBの関係は,下図に示す,(1) 単一の試料に含まれる異なる有機化合物,(2) 単一の有機化合物の異なる部位の元素,(3) 光学異性体などの異性体,などに見られると考えられおり,近年大いに注目されています。
 
 
第3世代の分析法の位置付け
我々研究者は,1つの指標では精度が悪い場合には,下図のように,
  • 複数の指標を組み合わせた2次元,3次元分析
  • 多次元分析で得られた結果の統計分析
  • パラメタリゼーション
  • 深層学習
と,次元をあげて解析を行い,真実への到達を目指すことが多いと思います。実際に,パラメタリゼーションや深層学習は,近年,非常に盛んに研究されている方法論です。
一方で,「第3世代の同位体分析法」は,1つの指標の精度を著しく高めるような方法論として,位置づけられています。