なぜ冬眠研究か?

 哺乳類の冬眠は、低温・乾燥・飢餓等の極限状態を全身性の代謝抑制と低体温により乗り切る生存戦略である。ヒトをはじめ多くの哺乳類は冬眠できないが、クマやリスなど一部の哺乳類は冬眠を行うことができる。こうした「冬眠動物」は、ヒトなどの非冬眠動物とは異なり、長時間の低体温による傷害や、そこからの復温過程で生じうる組織傷害に対しても耐性を有している。また、冬眠に伴う長期間の不動状態で生じる筋廃用萎縮などにも、冬眠動物は冬眠しないヒトなどの哺乳類に比べ耐性を有するとされている。さらに冬眠動物は、冬眠にともなう食欲・体重の季節性変動、貯蔵脂肪の効率的燃焼、季節の長さを感知する計時能力など、興味深い多くの形質を備えている。しかしながら、これら冬眠に伴う一連の生理変化や形質の制御機構は、未だ多くの点が不明である。こうした点を明らかにしていく冬眠研究は、知的好奇心を満たし生命現象に対する知識と理解を深めるだけでなく、医学薬学研究への応用も大いに期待される、21世紀の生物学に残されたフロンティアといえる。


スゴイ能力.001




哺乳類の冬眠の分子機構の解明を目指したアプローチ

 私たちは哺乳類の冬眠の制御機構解明を目指し、実験室での飼育が比較的容易な、冬眠可能な哺乳類シリアンハムスターを冬眠動物モデルとして研究している。研究手法としては、遺伝子レベルでの解析を行う分子生物学的手法、個体全体を対象とした生理学的手法、また個体レベルでの遺伝子操作を行う発生工学的手法を中心に用いているが、情報生物学や先端代謝分析などの新規方法論も必要に応じて取り入れて行く。


A.「冬眠不能状態」から「冬眠可能状態」への全身性変化の分子機構
 これまでのシマリスやジリスにおける複数グループの研究から、冬眠動物も1年中冬眠可能なのではなく、秋から冬にかけて冬眠可能な状態に体を作りかえることが示唆されている。私たちは、この季節性の適応機構、すなわち非冬眠期(夏)の夏仕様のからだ(冬眠不能状態)から冬眠期(冬)の冬仕様のからだ(冬眠可能状態)への全身性のからだの変換機構(図)、の解明を目指し研究を行っている。この機構の解明は、冬眠動物が有する驚異的な性質を、冬眠できない我々ヒトに賦与し医学応用する手法開発への展開も可能とすると期待される。私たちは、生理学的実験や次世代シーケンサーを用いた網羅的遺伝子発現解析から、シリアンハムスターは前冬眠期のあいだに、体温調節機構や脂質代謝を全身・臓器レベルで変化させることを明らかにしている(Chayama et al., 2016; Chayama et al., 2019 プレスリリースはコチラ)。現在引き続き、これらの変化を引き起こす因子の同定とその分子機構の解明を目指して研究を行っている。

図1ハム冬眠.004


B.「冬眠可能状態」を賦与する分子機構
 冬眠動物が有する「冬眠可能状態」のうち、低体温での生存を許容する仕組み、および深冬眠に伴う不動状態において廃用筋萎縮を防ぐ仕組み、について特に研究を行っている。リスやシリアンハムスターなどの小型冬眠動物は、長期間(長い場合は1週間程度)の低体温(深冬眠状態)でも生存可能である(上図)。一方、ヒトやマウスをはじめとした哺乳類は、個体レベルのみならず臓器・細胞レベルにおいても、低温下で生存可能なのはせいぜい数時間から2日程度である。しかしながら、長時間の低体温に置かれたにも関わらず生還できた人々の事例も知られており、ヒトでもなんらかの条件が揃えば低体温での生存が許容される可能性がある。したがって、冬眠動物の低体温下での生存を許容する仕組みが解明できれば、臓器移植時の臓器保護や梗塞時の低体温療法の改善につながると期待される。同様に、深冬眠に伴う不動状態でも筋肉が衰えないとされる冬眠動物の筋萎縮防止機構が明らかになれば、寝たきりや傷害時の効果的な筋萎縮防止法へと展開できる可能性がある。現在、低体温下で組織が傷害されない機構については「細胞死制御」の観点から、廃用筋萎縮耐性については「筋繊維の性質変化」の観点から、研究を進めている。

C. 冬眠中の体温変化〜深冬眠と中途覚醒〜を制御する分子機構
 小型冬眠動物は数ヶ月にわたる冬眠期間のあいだ、体温が10ºC以下まで抑制された深冬眠状態と、そこから復温して体温37ºCとなった中途覚醒状態とを繰り返す(上図)。深冬眠時には心拍数が1分間に10回程度まで低下(正常時は〜400回・分)し、脳表層の脳波も検出されず随意運動の全く見られない不動状態となる。中途覚醒の際には、主に白色脂肪細胞から供給された脂肪酸が褐色脂肪組織で燃焼され熱に変わる非ふるえ熱産生と、骨格筋の震えによる、ふるえ熱産生の両者によって、短時間で体温37ºCまで復温するとされる。しかし、なぜ深冬眠と中途覚醒が一定の間隔で繰り返されるのか、どうして深冬眠状態のままではいられないのか、そもそも体温のセットポイントを変更できる機構はなんなのか、また一定期間ののち外部環境に関わらず自発的に冬眠を終了するのはなぜなのか(上図)、その生理的意味から制御機構に至るまで、多くの点が謎のまま残されている。


参考文献

Chayama, Y., Ando, L., Sato, Y., Shigenobu, S., Anegawa, D., Fujimoto, T., Taii, H., Tamura, Y., Miura, M., and Yamaguchi, Y*.:
Molecular basis of white adipose tissue remodeling that precedes and coincides with hibernation in the Syrian hamster, a food-storing hibernator.
Frontiers in Physiology, 28 Jan 2019, DOI:10.3389/fphys.2018.01973

Chayama, Y., Ando, L., Tamura, Y., Miura, M., Yamaguchi, Y*.:
Decreases in body temperature and body mass constitute pre-hibernation remodelling in the Syrian golden hamster, a facultative mammalian hibernator
Royal Society Open Science, DOI: 10.1098/rsos.160002

山口良文
冬眠・休眠のバイオロジー
実験医学 4月号 第2特集 2020

姉川大輔、三浦正幸、山口良文
哺乳類の冬眠を可能とする低体温耐性機構
月刊「細胞」8月号, 50 (9), 477–479, 2018

What enables hibernation? ~ insights from a mammalian hibernator, Syrian hamster 
冬眠する哺乳類シリアンハムスターに学ぶ、冬眠可能な生体状態とは?
岡山実験動物研究会 2018 

山口良文
冬眠する哺乳類に学ぶ代謝制御〜冬眠するための準備とは?
薬事日報 2016/10/03 医療と薬剤 2016年 秋 


日経グッディ



これまでの研究テーマ

細胞死の生体内での生理的意義
哺乳類胚発生と代謝制御

 山口は前任地において、哺乳類の発生・恒常性維持過程における細胞死の役割について研究を行ってきました。近年、細胞が死ぬと一口に言っても、さまざまな様式の遺伝的に制御された細胞死があることが近年明らかになってきました。よく知られる代表的なものはアポトーシスというものですが、そのほかにも炎症の際に重要な役割を果たすパイロトーシス、アポトーシスが阻害された場合によく生じるネクロプトーシス、鉄と酸化ストレスが関与するフェロプトーシスなど、多様な細胞死が明らかになってきました。これらの細胞死が炎症応答などの恒常性維持過程、さらには上述のように冬眠時の制御機構等について研究を進めています。

 一方、わたしたち動物の体ができてくる過程では、たくさんの細胞が生まれるだけでなく死んでいきます。その生理的意義について、遺伝子操作により細胞死が生じなくなったマウスを用い、特に脳の形成の初期過程に着目し研究を行っています。脳形成の初期での細胞死は、その異常が無脳症や二分脊椎等につながりうるため、制御機構や役割の理解はこれらの疾患の予防や原因理解の一助となると考えられます。同時に、発生における代謝制御という観点からも研究を行っています。細胞の生き死にの根底には、細胞が生きるためのエネルギー代謝状態の制御や変化があると考えられるためです。またその流れで、母体と胎児との栄養のやりとりや相互作用についても研究しています。